金閣寺の歴史についてどこまで御存知ですか?
対としていつも扱われている銀閣寺との関係は知っていますか?
その他、見所やスポットについても御紹介したいと思います。
また、放火事件があったことについても触れていきたいと思います。

京都にある数々の伝統的な建築物の中でも有名なのが金閣寺ですよね。
京都には、市バスが無数に走ってますので
行くには金閣寺行きの「金閣寺道」というバス停で降りればいいようです。

 

金閣寺の歴史について

金閣寺の正式名称は「鹿苑寺」といい相国寺の塔頭寺院の一つです。

その中で舎利殿である金閣が一番有名なため
金閣寺として広く知られています。

この金閣寺を作ったのは室町幕府三代目の足利義光です。
これは教科書にも載っていましたね。
この足利義光の法号が鹿苑院殿であるということから
「鹿苑寺」と名付けられたようです。

元々この金閣寺は西園寺家のものだったのです。
西園寺家は代々、朝廷と幕府間の連絡役として
力を持っていました。

しかし、鎌倉幕府滅亡直後に、
当主の西園寺公宗が御醍醐天皇を
暗殺しようとしたのが発覚し、
莫大な所領と資産は没収されたのです。

そこで、1397年に足利義光が
河内の領地と交換という形で譲り受け、
改装と新築をしたのです。これが始まりとされています。

1467年に始まった応仁の乱では
西軍の陣として使われ建築物の多くが焼失してしまいました。

しかし、江戸時代になるとほとんどが再建され今の形となりました。
1994年には世界文化遺産として登録されることとなりました。

 

銀閣寺との関係は?

歴史の教科書で同じように取り上げられるのが「銀閣寺」ですね。
こちらは室町幕府第8代将軍、足利義政が建てたものです。

金閣寺が豪華絢爛と称されるのに対し、
銀閣寺は侘び寂びの文化として取り上げられます。

では、この二つにはどんな関係があるのでしょうか?

金閣寺と銀閣寺の公式サイトに行ってみますと、
両寺はどうやら相国寺の中のお寺の1つという位置づけのようです。

先ほど、金閣寺の歴史でも触れましたように
金閣寺は相国寺の塔頭寺院です。
これが銀閣寺にも当てはまるようです。

相国寺はどこにあるのかと言いますと、
京都御所の少し北の方にあります。
金閣寺と銀閣寺を結ぶと、ちょうど真ん中あたりに
相国寺があるというのもまた面白いものですね。

 

金閣寺の見所スポットは?

修学旅行で訪れたり、京都旅行に行ったら
ベタだと分かってはいても訪れたくなるのが金閣寺です。
では見所はどこでしょうか?やはり金閣寺は舎利殿です。

池のほとりに金閣寺が鎮座している姿を眺めるのは
感嘆のため息が出てきます。

池に映る金閣寺の金色も空の色と映えとても美しいですね。

更に季節によってその情景を変えてくれます。
春なら桜、夏は青葉、秋は紅葉、冬は雪。
何度見に行っても美しいと感じることでしょう。
更に金閣寺屋根の上には金色の鳳凰が乗っています。


この金閣寺に使われた金箔は
全部で20キロとも言われていますから
これを見るだけでも圧巻です。

また、金閣寺の池から右に進んでいくと
そこには船の形をした盆栽があります。
これは「陸舟の松」といわれるそうです。
義光の盆栽を移植したら立派になったとのことですので、
ここもぜひ見ておきましょう。

最後に「夕佳亭」があります。
ここは茶室で義光も良く茶をたてて嗜んだそうです。
ここからは夕日に映える金閣寺が楽しめるとのことですので
天気などに恵まれるとみれるのではないでしょうか?

 

放火事件があった?

応仁の乱などの戦火を経験している金閣寺ですが、
放火事件もあったようです。

1950年7月2日に舎利殿から火が上がったそうです。
人的被害はなかったようですが、舎利殿が全焼し
中に置かれてあった観世音菩薩像などの文化財6点が焼失してしまったようです。

犯人として逮捕されたのは寺の見習い僧侶である
林容疑者(当時21歳)だそうで、
犯行動機は「世間を驚かせたかった」と言ったそうです。

獄中で林容疑者は結核と統合失調症を発症してしまい、
1956年3月に病死しています。
この放火事件を舞台に三島由紀夫の「金閣寺」は書かれたとしています。

今でもその豪華さを誇る金閣寺ですが何度も焼失してしまい、
そのたびに再建されていたのですね。

何度か訪れたことのある方もない方も、
もう一度金閣寺に行って違う視点で観光されるのもいいかもしれません。