京都の東山区にある蓮華王院、三十三間堂は有名ですね。訪れたことがあるという方も多いのではないでしょうか?後白河法皇によって建てられ、「院政」を行ったとされる場所でもあります。そこで毎年行われる通し矢を御存知ですか?また三十三間堂の見所をご紹介します。更に、今回は御朱印と仏像についても取り上げていきたいと思います。
三十三間堂の通し矢について
毎年1月に三十三間堂で行われるのが通し矢という大的大会です。成人の日である15日に一番近い日曜日に本堂横で行われます。通し矢は江戸時代に武士が弓の腕を競いあったことが始まりとされています。この日は全国から選手が集まり、その腕を競います。成人男性・成人女性・称号者と階級は分かれています。
しかし、称号者以外は20歳の人しか出場する事が出来ず、一生に一度しか立てない大舞台に全国からたくさんの人が集まってきています。もちろん一般公開もされていてこの日は三十三間堂に無料で入ることもできます。袴を着て、大きな弓を引きバアンという大きな音とともに矢を射るのを見るのは身が引き締まる思いがしますね。
三十三間堂の見所はどこ?
三十三間堂の名前の由来はもちろんその長いお堂にあります。120メートルもある長いお堂の正面には33本の柱があることから三十三間堂と名付けられました。中には1001体の観音像が祀られています。この1001体もある観音像の中には会いたい人の顔が必ずあると言われておりそれを見つけるだけでもかなりの時間がかかりそうです。
また、風神・雷神も祀られており、中央には中尊と呼ばれる「千手観音像」が圧倒的な存在感でそこに鎮座しています。この三体は当時の人の自然に対する恐れや感謝の気持ちが込められているとされています。
また、見落としがちですが「太閤塀」という重要文化財もあります。これは名前の通り太閤秀吉が方広寺・大仏殿を建立する際に建造されました。瓦には豊臣家の家紋である桐のついたものが発見されたようです。
御朱印と仏像について
最近では、神社を回り、その寺ごとにある御朱印を集めるのがひそかなブームになっているようです。自分の願いを叶えてもらい御朱印帳に御朱印を記してもらうというのが女子の中での楽しみとか。もちろん、この三十三間堂でも御朱印を頂けます。
では、その御朱印と仏像に一体どんな関わりがあるのでしょうか?それは御朱印を書いていただくお坊さんに関係があります。御朱印はその寺の僧侶や神職、氏子の方が書いてくださります。
三十三間堂ではお坊さんが書いてくださるようで、御朱印を書いて下さるのはあの長いお堂の中心部なのだそうです。つまり、1001体の仏像の中で書いてもらえる御朱印ということなのです。
御朱印を書いて貰うには大体300円ほど収める必要がありますが、自分が巡ったお寺の御朱印を集めるとそのお寺お寺の個性が感じられ、またその時の思い出も蘇ってきて中々感慨深いものかもしれません。