ねぷた祭りの深~い歴史。実は、韓国が起源なのでしょうか?弘前での死亡事故や掛け声のことについても取り上げていきたいと思います。
「ラッセーラ、ラッセーラ」と景気の良い掛け声を皆さん一度は耳にされたこともあるのではないでしょうか?毎年8月に、日本を代表するねぶた祭りが青森県で開催されます。どんな祭りなのかイメージはできても、その由来、掛け声の意味などは意外と知らないのではないでしょうか?そこで今回はねぷた祭りの歴史についてご紹介していきます。
ねぷた祭りの起源は韓国なのか?
2012年にネット上である話題が問題になったのをご存知ですか?ねぷた祭りの起源は韓国の「燃灯会(ねんとうえ)」によるものだと主張され、さらにはユネスコに申請まで行ったのです。
この騒動より随分と前に文化交流として青森が「風神、雷神」を韓国まで運び作り方まで教えていたという事実もあるようです。
ここまで聞くと韓国のいつものやつだなあと思われるかも知れませんが、ユネスコに申請されてしまったということは、もし選定されてしまうと世界的な文化財として認定されるのはねぷた祭りではなく燃灯会ということになってしまうのです。
今のところ、申請はされましたが、保留扱いとなっているようではありますが。そもそも祭りの起源がどこであるかとはっきりしているのはほとんどありません。にも関わらず、起源を主張してしまうのは「too mach」な感じがしますね。
弘前で死亡事故?
今年も8月の暑い季節に熱い祭りが開催されるようですね。去年、弘前で起きてしまった参加男性が機械に挟まれてしまうという事故を受け、安全面も強化され開催されるようです。
ねぷた祭りを見に行こうと考えられている方は宿泊施設などの予約を考えると思います。予約のピークは3月4月らしいのでお早めに予約されることをお勧めします。
ねぷた祭りの歴史について
「青森ねぷた祭は、七夕祭りの灯籠流しの変形であろうといわれていますが、その起源は定かではありません。」と青森ねぷた祭りの公式サイトに書かれています。
さらに読み進めてみると奈良時代に中国から渡来した「七夕祭り」と津軽に昔からあった習俗と精霊送りなどが一体化されねぷた祭りになったのではないかと書かれています。
最初は京都で世の覇者、豊臣秀吉候に「津軽大灯篭」を紹介したところ、気に入られ年中行事になったようです。それから約100年経ち享保・年間(1716~1736)になると油川(青森市)の辺りで灯篭を持って踊る姿が見られるようになりました。
その頃の人たちからすると、今のように国の重要無形文化財になるとは思ってもいなかったことでしょう。そして1800年代になりますと、今のようなかつぎねぷたや人形も大型化されるようになってきたということです。
戦争などで中止する期間などもありましたが、素晴らしい祭りとして観光化しねぷたもどんどん巨大なものになっていったようです。
ねぷた祭りのかけ声は?楽しみ方は?
この素晴らしい祭りを楽しむには、見るだけで終わらせないということです。巨大なねぷたを見るだけでも十分に見ごたえはありますが、その中を「ハネト(跳人)」と呼ばれる踊り人さんたちが跳ねて踊ります。
その時の掛け声が「ラッセーラ、ラッセーラー」なのは有名ですね。ではこの掛け声にどう答えるのが正解かご存知ですか?
正解は「ラッセラッセ、ラッセーラ」と答えるそうです。
先ほど言いましたようにねぷた祭りの起源は七夕祭りの灯篭流しの変形だそうです。この灯篭流しで使う蝋燭を求めて「出せ、出せ、蝋燭出せ」と囃しながら家々を回ったようです。「出せ、出せ」が「ラッセ、ラッセ」に代わり「ラッセーラ、ラセーラ」となったようです。
ねぷた祭りは衣装を着れば誰でも参加できるようですので掛け声に合わせて「ラッセラッセ、ラッセーラ」とハネトとして答えてみるのも楽しみ方の一つですね。