祇園祭の画像

京都で毎年行われる祇園祭。風流ですね。その由来と起源がユダヤにあるって本当なんでしょうか?歴史を知り、祇園祭りの本当の楽しみ方を紹介します。

祇園祭といえば、京都の代表的なお祭りですね。毎年、多くの観光客が集まる歴史的な盛大なお祭りというイメージです。一度は行ってみたいものですね。

さて、そんな祇園祭の起源がユダヤにあるということなんですが、本当なのでしょうか?まずはそのことについて取り上げて行きたいと思います。

 

祇園祭はユダヤが由来・起源??

京都の祇園祭はイスラエルのジオン祭りが起源とされる説が発表されました。祇園祭の行われる7月17日にこのジオン祭りも行われているようです。ジオン祭りとは一体何のお祭りなのかといいますと、旧約聖書の中にある有名な「ノアの方舟」の大洪水を乗りきったお祭りなのです。

ジオン祭りも約一ヶ月間行われますし、祇園祭りで有名な山鉾や山車もジオン祭りのソロモンの秘宝を運ぶ契約の箱を運ぶ祭典を真似たものだと言われています。また、祇園祭りで山車や山鉾が川を渡るのも契約の箱がヨルダン川を渡るのと同じではないか、とも言われています。共通点を見てみるとそこまで強引なものもないし、日本人のルーツは大陸から渡ってきたとされていますのでイスラエルと日本に様々な共通点があったとしても不思議なことではないのかもしれませんね。

 

祇園祭りの歴史

祇園祭りの始まりは869年。京都では疫病が流行し、大勢の死者が出ていました。当時の医学ではどうすることもできず、人々は神様に祈祷して疫病を鎮めようとしたのです。国の数である66本の矛を神泉苑にたて、祇園社の神輿を担いで参集した「祇園御霊会」が祇園祭りの始まりといわれています。

この祇園御霊会は疫病が流行ったときだけ行われていましたが、970年より毎年行われるようになりました。その後、時代が進むとともに民衆の参加も増え祭りの要素が加えられていくようになりました。応仁の乱のため30年ほど中止していましたが、乱を乗り越えると再び祇園祭がおこなわれるようになったのです。

明治時代には「神仏分離令」が出され、祇園社が八坂神社に名前を変えました。それまでの寄町制度も次第になくなり、山鉾を準備する費用に苦しむようになります。稚児も生稚児でしたが今では人形稚児にするなどして生稚児を守っているのは長鉾だけのようです。第2次世界大戦が終わるとその祭りも活気を取り戻し、宵山提灯も付けられるようになり、日本文化財として現在も受け継がれているのです。

 

祇園祭りの見所とその楽しみ方

祇園祭は長期間に渡って行われます。7月10日から山建て、鉾建ての様子を見ることができます。各路地に入るとお囃子などの練習も聞こえてくるのでここから祇園祭りを楽しむのもいいですね。14日から3日間は宵山になります。夜になると山鉾提灯に火が灯され祇園囃子が奏でられます。露店などもたくさん出てかなり盛り上がってくると思います。

鉾には搭乗することもできますが、それには拝観料がいりますし、各鉾によって受付時間などが違いますので問い合わせが必要です。また宵山では各山鉾町の旧家や老舗で珍しい屏風や美術品などのお宝が見れるようになっています。この機会に一度いておくのもいいですね。

2014年から祇園祭は一部内容を変更されました。山鉾巡業が前祭(17日)と後祭(24日)の二回に分けて行われるようになりました。山鉾巡業は神輿渡御の前に町の穢れを払い祇園祭の主神である八坂神社の神様が通る道を作るために行われるものだそうです。

なので前祭では八坂神社から神輿が四条の御旅所(神輿に乗った神様が休憩するための場所)まで行く道を山鉾で清めるため、また後祭では神様が八坂神社まで帰るために二回に分けて行われるようになったようです。

山鉾の近くになればなるほど御利益があると言われています。行列の前の方でご覧になるのがいいかと思います。そして最後に神輿が街中を巡る神幸祭があります。これを見なければ祇園祭を楽しめませんね。

以上、他にもお茶席が設けられたり八坂神社で石見神楽の奉納があったり、ととても一度では全部見れないほどです。ぜひ、何度も訪れてその年々の楽しみ方を探してみてはどうでしょうか?